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 私はイエス・キリストという方を人として生まれてくださった神だと信じています。私は生まれも育ちも姫路ですが、仏教徒の両親の次男として世に生を受けました。幼少時には、ルーテル教会(キリスト教会)の保育園に行っており、卒園記念として聖書も頂いておりました。お世話になったこと自体すっかり忘れておりましたが今の教会(インマヌエル姫路キリスト教会)に行くようになってから思い出されてきた次第です。インマヌエル教会では壁に毛筆で書かれた聖書の言葉が印象的でした。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすればとれます。」何とも不思議な言葉だなあと思っていたのですが、ある時、その言葉どおり魚でいっぱいになった網を小舟に乗った人たちが引き揚げている絵が描かれている本を自分は持っていることが思い出され驚きました。保育園の卒園記念に頂いた聖書の表紙に描かれていたのです。そして見開きには「わたしがあなたがたを愛したようにあなたがたも互いに愛し合いなさい。」と書き添えてありました。

 高校を無事卒業し、親元を離れ京都で7年大阪で2年生活し姫路に帰ってきました。大学の寮生活、寮を出てからの下宿生活、アルバイト、就職と経験させていただきましたが人間関係のつまずきで仕事を辞めてしまいました。姫路に帰ってきてからは高校時代からの親しい友人が教会へと誘ってくれました。大して興味があったわけではありませんが、彼は信頼できました。今もその思いは変わりません。ただ、そのときは宗教なんて年寄りに任せといたらいいのになあとぐらいにしか思っておりませんでした。

 両親との生活はしばらくは懐かしさも手伝ってありがたく感謝していましたが、疎ましく思えることもでてきて、ついにはこのまま一緒に暮らしていけるだろうか、それとも家を出るべきだろうかと追い詰められるようにまでなり、教会で頂いた聖書を手に公園へ出かけました。もしこの聖書を読んで何の解決も見いだせなかったら家を出ようという思いでした。読み進めていくうちにイエス・キリストという方がどれほど聖く誠実で愛に満ちた方であるかがわかりました。最後には何も悪いことはしていないのに十字架につけられ、「父よ彼らを許したまえ。彼らは自分で何をしているのかわからないのです。」とおっしゃいました。私は世の中にもまれて完全に失っていた心を呼び覚まされた思いがいたしました。自分もこのような心で生きていけたら素晴らしいなあと思いました。こうして心のアンテナが自分からイエス様に替えられた私にイエス様は聖書を通して「あなたの父と母を敬え。」と語ってくださいました。私の心は刺し通され、自分はいつも自分中心で物事を考えていた。相手の心を考え理解し、許していくことの大切さが示され反省し家に帰ったことです。以来、教会にも進んで行くようになり、朝早い集会にも自分の足で行きました。友人に誘われてから1年位経過していたと思いますが先生に勧められ自分の心の罪を紙に書き出し、神の前にひざまずき先生と共に祈り、罪の赦しを頂きました。1988年(昭和63年)2月13日のことで29才になっておりました。その時「死に至るまで忠実でありなさい。」という聖書の言葉をいただきました。喜びでいっぱいになり帰ってから両親に報告し、自分の部屋に戻ると喜びの涙が溢れ出てきました。

 父は生前よく「お前が家にいてくれるから安心だ。わしはいつ死んでも安心だ。」と言ってくれていました。あの時、聖書を通して個人的にイエス様に出合えたからこそ家に留まることができたんだと思うと感謝でいっぱいです。自分の心が変えられ、人には話すことのできない悩みや苦しみも祈りを通してイエス様にお話しし、重荷を共に担っていただける人生は幸いです。一人でも多くの方にこのイエス様をご紹介できればと願っております。